池田ひろ子 – 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977

池田ひろ子 - 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977

『緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 』は、日本の女性アイドル歌手「池田ひろ子 」が、1977(昭和52)年2月25日に発表した通算4枚目のラスト・シングルEP。筒美京平作曲の”緑のカーニバル”の原曲は、1974(昭和49)年台湾の歌手「優雅(ゆうや)」が日本デビューした際の1stアルバム『処女航海~はじめまして優雅です』に収録されたものの焼き直し。B面”わたしは舟”も優雅のカバーで、チャイナドレスを着ての歌手活動となった。

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池田ひろ子 – 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977の詳細

池田ひろ子 - 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977の詳細

タイトル 緑のカーニバル / わたしは舟
歌手名 池田ひろ子
発売日 1977(昭和52)年2月25日
ジャンル ポップス
発売国 日本
レーベル CBSソニー
フォーマット 7インチシングル・2曲入りEP

池田ひろ子 – 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977 の収録曲

  1. 緑のカーニバル
    作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:筒美京平
  2. わたしは舟
    作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:筒美京平

池田ひろ子 – 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977について

池田ひろ子 - 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977について

『緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 』は、日本の女性歌手「池田ひろ子」が19歳のときに、CBSソニーから発売したラスト・シングルEP。”緑のカーニバル”発売後、芸名をひらがなの「いけだひろこ」とし、スリットが30cm入ったチャイナドレスを着せられ、大人のイメージでプロモーションを展開した。楽曲も3年前に台湾女性歌手「優雅(ゆうや)」の1st LPで用意されていた”故郷の春”をリメイクしたもので、タイトルだけ”緑のカーニバル”に改題。B面”わたしは舟”も同歌手のもの。

サウンドは、初期「チャゲ&飛鳥」の”万里の河””ひとり咲き”のような、オリエンタル(中国大陸)要素を含むオーケストラが壮大な歌謡曲。B面”わたしは舟”も、同タイプのオリエンタルな作風で、オーケストラも含め筒美京平の作曲能力を堪能できる。作詞は有馬三恵子。

事務所としては、このオリエンタルな楽曲に合わせて、他のアイドルと差別化させるためにチャイナドレスで「池田ひろ子」をヒットさせたかったのかも。

“緑のカーニバル”発売後すぐ「いけだひろこ」と改名した池田ひろ子は、連動して男性雑誌に水着姿でグラビアを飾るが、残念ながら「歌手活動」は、これが最後となってしまった。翌年1978(昭和53)年の4月からは、TBS系の子供番組『ワンツージャンプ!』にお姉さん役として1年間出演した。

池田ひろ子 – 緑のカーニバル の歌詞

歌詞

緑のカーニバル/池田ひろ子 1977年
作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:筒美京平

木枯らし吹き荒れてた野末から
誰がつれてくるのか春のはじまり
待ちかねてはおる七色の衣装(イーサン)
袖も軽やかに皆踊るの
雪溶けの水はたくましく
かぎりない夢をくれたのよ
心はあの春の川のほとり

猫柳も芽ぶいて南から
一度に咲きはじめる春の花たち
ねかせてた酒を出す時も来ている
車座になって皆歌うの
目のさめるような思い出よ
愛してやまないわが故郷
心はあの春の川のほとり

池田ひろ子 – わたしの舟 の歌詞

歌詞

わたしの舟/池田ひろ子 1976年
作詞:有馬三恵子 作曲・編曲:筒美京平

風の中の舟は私なの
海へ来たらさがしてみて
誰の手にも呼びとめられない
白い舟が出ているはず
心は故郷離れてるの
生きてる意味を知るためにも
今日にもすぐ旅立てと
何かが私せかせる だから
風の中の舟は私なの
いつもいつも海が見えるの

沖を走る舟は私なの
海の人にたずねてみて
いつ頃から姿みかけたか
舟の行方知らないはず
旅立つ事は傷つくこと
あやしく胸はふるえながら
愛にもめぐり逢うため
何かが私せかせる だから
沖を走る舟は私なの
胸の中に荒らしがあるの

池田ひろ子 のシングル・レコード(ディスコグラフィ)

池田ひろ子(いけだひろこ)の来歴(バイオグラフィ)

池田ひろ子は、1957年(昭和32)年12月2日生まれの東京都豊島区の出身。本名:池田廣子。身長:156㎝ 体重:45kg スリーサイズ:B 80 W 58 H 86。特技は、タップダンス・モダンダンス・クラシックバレエ。

池田ひろ子(いけだひろこ)が16歳の時

1973(昭和48)年、池田ひろ子は「洗足学園第一高校」1年生のころ、12月30日に開催された、公開オーデション番組『スター誕生(日本テレビ系)』の第9回決戦大会で合格し、ホリプロに所属した。

池田ひろ子(いけだひろこ)が17歳の時

池田ひろ子(いけだひろこ)が17歳の時
池田ひろ子 – 恋のABC / ブルージン同志 (EP) 1975

1975(昭和50)年10月1日、いよいよ念願のデビューシングルとなる”恋のABC”を発売。作詞:安井かずみ、作曲は前年1974(昭和49)年アグネス・チャンの”ポケットいっぱいの秘密(オリコン週間6位)”と、1975年2月にキャンディーズの”年下の男の子(オリコン週間9位)”を手がけた若手の穂口雄右。

当時、イギリスから派生した1950年代後期のロックンロール(オールディーズ)のリバイバルブームが日本でも偶発しており、池田ひろ子”恋のABC”も前月9月10日に発表された林寛子”素敵なラブリーボーイ”と同じく、ロックンロールマナーの名歌謡曲といえる。

この年、池田ひろ子はTBS系バラエティ番組『ぎんざNOW』にも出演している。

池田ひろ子(いけだひろこ)が18歳の時

池田ひろ子(いけだひろこ)が18歳の時
池田ひろ子 – 制服をぬいだら / 友達の兄貴 (EP) 1976

1976(昭和51)年3月1日、高校を卒業する池田ひろ子は”制服をぬいだら”というセカンド・シングルを発表する。作詞:林カヨコ、作曲を愛奴を解散してソロデビューする前の浜田省吾が担当していて、浜田省吾マニアには有名な1曲。前作に引き続きロックンロール歌謡で、B面”友達の兄貴”も同コンビによる軽快なポップスとなっている。

歌のお姉さんに抜擢

4月には、NHK教育テレビ『なかよしリズム』という音楽系教育番組で、福沢良(歌のお兄さん)と一緒に、歌のお姉さんとしてレギュラー出演が決まり、1979年3月まで2年間続いた。

池田ひろ子 - 友達から恋人に (EP) 1976
池田ひろ子 – 友達から恋人に / さよならの意味 (EP) 1976

同年6月1日には初夏の香りがするサード・シングル”友達から恋人に”を発表。作詞:石原信一 作曲を松崎由治が担当したこの楽曲は、ホリプロがタレント発掘オーデションを開始したこの年『ホリプロ・スカウトキャラバン』のイメージソングとしてタイアップされた。

ヒットこそしなかったが、サックスがこ小気味よいリズムを奏でるロックンロール歌謡の佳曲だ。B面”さよならの意味”は、ぐっと大人っぽくなった「池田ひろ子」の歌声にうごめくベースとオーケストレーションのディスコ・サウンドが加味された76年らしいナンバー。

池田ひろ子(いけだひろこ)が19歳の時

池田ひろ子(いけだひろこ)が19歳の時
池田ひろ子 – 緑のカーニバル / わたしは舟 (EP) 1977

1977(昭和52)年2月25日、4枚目となる”緑のカーニバル”を発表。まだ未成年だった「池田ひろ子」を事務所側は、大人のイメージとして売り出そうとしていたのか、チャイナ服に30cmのスリットを入れてメディア露出をし、途中から「いけだひろこ」とすべて平仮名に改名させられ水着などのグラビア露出へ転向となった。

池田ひろ子(いけだひろこ)が19歳の時

大林亘彦監督『瞳の中の訪問者』に出演

池田ひろ子は、同年11月26日に公開された、手塚治虫の医療マンガ『ブラックジャック』の実写版映画である『瞳の中の訪問者』にテニス部員明美役として、映画デビューしている。

池田ひろ子(いけだひろこ)が20歳の時

1978(昭和53)年4月からは、いけだひろことしてTBS系『ワンツージャンプ!』という月曜日から金曜日まで放映されていた子供番組(30分)に出演。翌1979年3月30日まで、約1年間担当した。

池田ひろ子(いけだひろこ)が21歳の時

1979(昭和54)年、21歳の池田ひろ子は「いけだひろこ」に改名したものの、その後いっさいの歌手活動は止まってしまい、東京テレビ系『日本縦断民謡大全集』にアシスタントとして出演していた。

池田ひろ子(いけだひろこ)が22歳の時~24歳の時

1980(昭和55)年から、1982(昭和57)年までは、日清食品提供『3時のおじゃまクイズ(テレビ東京系)』に出演し、宮尾すすむの横でプラカードを持つアシスタント役をつとめていた。

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