北村優子 – 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976

北村優子 - 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976

『若草のデート / 学園祭 (EP) 』は、日本の女性アイドル歌手「北村優子 」が、1976(昭和50)年にビクター・レコードより発売したデビュー・シングルEP。ビクターがポスト桜田淳子として売り出していただめ、サンミュージック出身とよく間違えられる(実際は新栄プロダクション)。作詞は阿久悠、作曲は森田公一、編曲は柳田ヒロと萩田光雄の二人が担当「春風に乗って、さわやかな笑顔がブラウン管を流れます。新しい高校生アイドルの誕生です。」と評価される。

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北村優子 – 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976の詳細

北村優子 – 若草のデート

タイトル 若草のデート / 学園祭
歌手名 北村優子
発売日 1976(昭和51)年
ジャンル ポップス
発売国 日本
レーベル Victor
フォーマット 7インチシングル・2曲入りEP

北村優子 – 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976 の収録曲

  1. 若草のデート
    作詞:阿久悠 作曲:森田公一 編曲:柳田ヒロ・萩田光雄
  2. 学園祭
    作詞:阿久悠 作曲:森田公一 編曲:あかのたちお

北村優子 – 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976について

『若草のデート / 学園祭 (EP) 』は、日本の女性歌手「北村優子」が16歳~17歳のときに、ビクター・レコードから発売した記念すべきデビューシングルEP。1973(昭和48)年14歳のとき、反対する親を説得して、日本テレビ系『スター誕生』の札幌大会に応募し優勝。全国大会でもグランドチャンピオンになったことで、1年間のトレーニングののち1976(昭和51)年に歌手デビュー。ユッコという愛称のもと”若草のデート”阿久悠作詞・森田公一作曲で活動した。B面の”学園祭”は、「強気な女子生徒が他校の男子生徒を文化祭に強引に誘う」というシチュエーションがコミカル。

北村優子(きたむらゆうこ) – 若草のデートの歌詞

北村優子 - 若草のデート (EP) 1976

歌詞

若草のデート/北村優子 1976年
作詞:阿久悠  作曲:森田公一

ちょっとでいいの あっちを向いて
盗み見なんかは しないでね
背中についている 若草はらって
鏡ものぞいて 見たいのよ
いいわとあなた よぶまでは
その目を 閉じててね
胸のときめき しずめたいのよ
あなたがくちづけ くれたあと

ちょっとでいいの あっちを向いて
言葉もしばらく かけないで
涙がポロポロと あふれて来るのよ
ふいてもふいても とまらない
いいわとあなた よぶまでは
私を 忘れてて
白いスカート 指ではらって
くるりとふり向く 時までは

いいわとあなた よぶまでは
その目を 閉じててね
胸のときめき しずめたいのよ
あなたがくちづけ くれたあと

北村優子(きたむらゆうこ) – 学園祭の歌詞

北村優子 - 学園祭 の歌詞

歌詞

学園祭/北村優子 1976年
作詞:阿久悠  作曲:森田公一

よその学校のひとだけど
あなたを招待します
お願いよ来てね 忘れずに来てね
ソフト・クリーム食べながら
ふたり歩きたい
見られていい平気なの 学園祭の日には
のびのびなの誰もみな とても自由なの
あなただけは来てほしいの これは特別よ
赤い風船 浮かぶ空見てお話したい

よその学校のひとだけど
あなたを招待します
お願いよ来てね 忘れずに来てね
私ピアノをひく姿
見せてあげたいの
何かがふと起こりそう 学園祭の日には
いきいきなの誰もみな 恋も生まれそう
いい話を聞かせたげる それも特別よ
フォーク仲間が さわぐ校庭歩いてみたい

北村優子 のシングル・レコード(ディスコグラフィ)

北村優子(きたむらゆうこ)の来歴(バイオグラフィ)

北村優子は、1959年(昭和34)年12月27日生まれの札幌市豊平区(現在の清田区)出身。

北村優子(きたむらゆうこ)が14歳の時

1973(昭和48)年、北村優子が中学2年生のときに日本テレビ系『スター誕生』の札幌大会に応募し、見事優勝。同年12月の第12回の決戦大会(全国大会)では、グランドチャンピオンに輝き、新栄プロダクションと契約する。

本名、熊谷優子だと「北海道出身=熊」と悪いイメージがつくということで北海道=北なので北村優子を芸名にした。愛称はユッコ。当時の身長158cm 体重47kg(B81・W60・H86)。

北村優子(きたむらゆうこ)が16歳~17歳の時

北村優子 - 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976
北村優子 – 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976

北村優子は、地元中学を卒業すると「堀越学園」に通うために上京し、歌手デビューをひかえたレッスンを重ねた。

1976(昭和51)年の2月25日に、いよいよ”若草のデート”で歌手デビューとなる。

当時の雑誌では「詩を書くことが大好きでいつも夢の中で恋をしているロマンチスト、北海道のスズランの咲くころ、つぼみの優子ちゃんも美しく咲くでしょう」と紹介されている。

北村優子 - ハロー・サンシャイン / 口笛ふいて (EP) 1976
北村優子 – ハロー・サンシャイン / 口笛ふいて (EP) 1976

1976(昭和51)年の夏には、元はっぴいえんどの松本隆作詞・キャンディーズで有名な穂口雄右作曲の”ハロー・サンシャイン”を発表。

水着で青年誌に露出したり、河口湖の無人島うの島でファン500人と「宝さがし」のイベントをしたりと歌手活動に力をいれたが、ヒットには至らなかった。

北村優子 - ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976
北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976

1976(昭和51)年は、北村優子にとっても「歌手」として勝負の年だったのか、連続3作目”ジェラシー”を10月25日に発表した。

前作に続き、『嫉妬』をテーマにしたA面”ジェラシー”と当時のディスコブームの流行語を取り入れた”ハッスルしないで男の子”というコミカルなディスコ歌謡、両方を松本隆・穂口雄右のコンビが手がけた。

北村優子(きたむらゆうこ)が17歳~18歳の時

北村優子 - 999粒の涙 / ツイスト・レディ (EP) 1976
北村優子 – 999粒の涙 / ツイスト・レディ (EP) 1976

1977(昭和52)年に入ると、3月25日に北村優子の歌手活動最後となる”999粒の涙”が発売される。

当時は、佐藤祐介と一緒に彼女も「グリコ・アーモンドAA」というチョコレートのCMに出演しており、その関係のイメージソングで作られたのだろう。作詞は牧亜矢、作詞は高田弘。

もともと中学の卒業まで、演劇部に入っていた「北村優子」は、彼女の得意分野である女優として『おおヒバリ!』という学園ドラマに1978年5月まで、新井マリ子役で出演した。

北村優子(きたむらゆうこ)が18歳~19歳の時

北村優子(きたむらゆうこ)が19歳~20歳の時

1978(昭和53)年10月からは、中村雅俊主演のドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』に北川真弓という生徒役として出演し、コケティッシュで愛くるしい「北村優子」の顔はドラマの大ヒットとともにお茶の間に認知され「カンコー学生服」のCMにも起用された。

北村優子(きたむらゆうこ)が19歳~20歳の時

北村優子(きたむらゆうこ)が20歳~21歳の時

前作の学園ドラマがヒットしたことで、1979(昭和54)年10月からは宮内淳主演の『あさひが丘の大統領』の白石こずえという生徒役で出演し、北村優子は女優として人気を博した。

北村優子(きたむらゆうこ)が20歳~21歳の時

北村優子(きたむらゆうこ)が21歳~22歳の時

北村優子の芸能界引退は「突然」やってきた。

堀越学園で同じだった林寛子が、1980(昭和55)年4月に結婚したことを受け、「あせるなぁ」ともらしていた北村優子が、所属事務所(新栄プロダクション)取締役のご子息(次男)」と、同年に結婚を発表する。

前から「花嫁」に憧れていた彼女は、雑誌のインタビューでも芸能界に未練がないことを明かし、一人の男性をささえる専業主婦として芸能界を引退した。

すでに録音済みだったのか、翌1981(昭和56)年に公開されたアニメ『海底大戦争 愛の20000マイル(日本テレビ系)』では、ソフィア役として声優出演していた。

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