北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976

北村優子 - ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976

『ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 』は、日本の女性アイドル歌手「北村優子 」が、1976(昭和50)年にビクター・レコードより発売した通算3枚目のシングルEPで、秋の季節10月25日に発売された。”ジェラシー”の歌詞は、テニス部で片思いの男の子の手に光る指輪が気にかかる「不安な想い」をつづっている。前作に引き続き、作詞は「元はっぴいえんど」の松本隆と、作詞編曲はキャンディーズで大ヒットした穂口雄右が担当。

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北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976の詳細

北村優子 - ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976の詳細

タイトル ジェラシー / ハッスルしないで男の子
歌手名 北村優子
発売日 1976(昭和51)年
ジャンル ポップス
発売国 日本
レーベル Victor
フォーマット 7インチシングル・2曲入りEP

北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976 の収録曲

  1. ジェラシー
    作詞:松本隆 作曲・編曲:穂口雄右
  2. ハッスルしないで男の子
    作詞:松本隆 作曲・編曲:穂口雄右

北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976について

『ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 』は、日本の女性歌手「北村優子」が16歳~17歳のときに、ビクター・レコードから発売したサード・シングルEP。1976(昭和51)年の彼女のデビューとともに、2月”若草のデート”7月”ハロー・サンシャイン”に続いて、10月25日に”ジェラシー”と1年に3枚ものシングルを発表した北村優子は、事務所からの期待も大きかったのだろう。実際はピンク・レディーのように奇抜で派手な歌手に関心が向かうようになり、普通のキャラでは大スターにはなれない時代に突入していたため、売れなかった。

北村優子出演 – ゆうひが丘の総理大臣

ただ、歌手として売れなかったことと「女優」として素質がないのとは別問題で、表現力がある彼女はその後「テレビのドラマ」で才能を開花させていく。B面の”ハッスルしないで”の「ハッスル」という言葉は、日本にディスコブームがきたときの流行語。サウンドも、ディスコ歌謡で「押しが強い男性」を何とか食い止めようとする北村優子のはきはきした声が、学校の学級委員に叱られているようで、想像力がかきたてられる。

北村優子(きたむらゆうこ) – ジェラシーの歌詞

歌詞

ジェラシー/北村優子 1976年
作詞:松本隆  作曲:穂口雄右

ジェラシー 色づく木(こ)の葉に
(ジェラシー) 胸が騒ぐのは
ジェラシー 心のすきまに
(ジェラシー) あなたがいるせいよ

テニス・コートで ボール打つ手に
キラリと光る ハートの指輪
それは誰から もらったのでしょう
ささいな事が 気にかかるのよ
フフンと 笑って拗(す)ねてみたり
クスンと 涙をふいてみたり
こんなに 心が揺れているのは
やっぱりあなたを 好きな証拠ね
ジェラシー 素敵な誰かを
(ジェラシー) ひとり占めしたい
ジェラシー 女の子ならば
(ジェラシー) 自然な感情よ

バス・ストップで「あなた さよなら」
公園さえも 素通りにして
半年たって 手も握らない
何か訳でも あるのでしょうか
クルリと 背中を向けてみたり
ムッツリ くちびるとがらせたり
こんなに 心が悩ましいのは
やっぱりあなたを 好きな証拠ね
ジェラシー 素直になれない
(ジェラシー) 私を許して
ジェラシー わがまま言う子は
(ジェラシー) 淋(さみ)しがりやなのよ

北村優子(きたむらゆうこ) – ハッスルしないで男の子 の歌詞

北村優子 - ハッスルしないで の歌詞

歌詞

ジェラシー/北村優子 1976年
作詞:松本隆  作曲:穂口雄右

ねえ ハッスルしないで 男の子
ねえ ハッスルしないで 男の子

秋だから ロマンチックな街角に
誘われたのよ
暗がりで ふれあう指がふるえてる
気持を告げる 告げる
困るわ 困るわ 息もつかせず
せまる せまる あなたハッスル
こわいわ こわいわ
女の子って ブランコみたいに
揺れて揺れて 動くのよ

ねえ ハッスルしないで 男の子
ねえ ハッスルしないで 男の子
帰るとか 帰らないとか強がって
すねて甘えて
一歩二歩 離れただけで淋しさに
振り向く私 私
あせるわ あせるわ 強い両手で
せまる せまる あなたハッスル
こわいわ こわいわ
女の子って ブランコみたいに
揺れて揺れて 動くのよ

ねえ ハッスルしないで 男の子
ねえ ハッスルしないで 男の子

北村優子 のシングル・レコード(ディスコグラフィ)

北村優子(きたむらゆうこ)の来歴(バイオグラフィ)

北村優子は、1959年(昭和34)年12月27日生まれの札幌市豊平区(現在の清田区)出身。

北村優子(きたむらゆうこ)が14歳の時

1973(昭和48)年、北村優子が中学2年生のときに日本テレビ系『スター誕生』の札幌大会に応募し、見事優勝。同年12月の第12回の決戦大会(全国大会)では、グランドチャンピオンに輝き、新栄プロダクションと契約する。

本名、熊谷優子だと「北海道出身=熊」と悪いイメージがつくということで北海道=北なので北村優子を芸名にした。愛称はユッコ。当時の身長158cm 体重47kg(B81・W60・H86)。

北村優子(きたむらゆうこ)が16歳~17歳の時

北村優子 - 若草のデート / 学園祭 (EP) 1976
北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976

北村優子は、地元中学を卒業すると「堀越学園」に通うために上京し、歌手デビューをひかえたレッスンを重ねた。

1976(昭和51)年の2月25日に、いよいよ”若草のデート”で歌手デビューとなる。

当時の雑誌では「詩を書くことが大好きでいつも夢の中で恋をしているロマンチスト、北海道のスズランの咲くころ、つぼみの優子ちゃんも美しく咲くでしょう」と紹介されている。

北村優子 - ハロー・サンシャイン / 口笛ふいて (EP) 1976
北村優子 – ハロー・サンシャイン / 口笛ふいて (EP) 1976

1976(昭和51)年の夏には、元はっぴいえんどの松本隆作詞・キャンディーズで有名な穂口雄右作曲の”ハロー・サンシャイン”を発表。

水着で青年誌に露出したり、河口湖の無人島うの島でファン500人と「宝さがし」のイベントをしたりと歌手活動に力をいれたが、ヒットには至らなかった。

北村優子 - ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976
北村優子 – ジェラシー / ハッスルしないで男の子 (EP) 1976

1976(昭和51)年は、北村優子にとっても「歌手」として勝負の年だったのか、連続3作目”ジェラシー”を10月25日に発表した。

前作に続き、『嫉妬』をテーマにしたA面”ジェラシー”と当時のディスコブームの流行語を取り入れた”ハッスルしないで男の子”というコミカルなディスコ歌謡、両方を松本隆・穂口雄右のコンビが手がけた。

北村優子(きたむらゆうこ)が17歳~18歳の時

北村優子 - 999粒の涙 / ツイスト・レディ (EP) 1976
北村優子 – 999粒の涙 / ツイスト・レディ (EP) 1976

1977(昭和52)年に入ると、3月25日に北村優子の歌手活動最後となる”999粒の涙”が発売される。

当時は、佐藤祐介と一緒に彼女も「グリコ・アーモンドAA」というチョコレートのCMに出演しており、その関係のイメージソングで作られたのだろう。作詞は牧亜矢、作詞は高田弘。

もともと中学の卒業まで、演劇部に入っていた「北村優子」は、彼女の得意分野である女優として『おおヒバリ!』という学園ドラマに1978年5月まで、新井マリ子役で出演した。

北村優子(きたむらゆうこ)が18歳~19歳の時

北村優子(きたむらゆうこ)が19歳~20歳の時

1978(昭和53)年10月からは、中村雅俊主演のドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』に北川真弓という生徒役として出演し、コケティッシュで愛くるしい「北村優子」の顔はドラマの大ヒットとともにお茶の間に認知され「カンコー学生服」のCMにも起用された。

北村優子(きたむらゆうこ)が19歳~20歳の時

北村優子(きたむらゆうこ)が20歳~21歳の時

前作の学園ドラマがヒットしたことで、1979(昭和54)年10月からは宮内淳主演の『あさひが丘の大統領』の白石こずえという生徒役で出演し、北村優子は女優として人気を博した。

北村優子(きたむらゆうこ)が20歳~21歳の時

北村優子(きたむらゆうこ)が21歳~22歳の時

北村優子の芸能界引退は「突然」やってきた。

堀越学園で同じだった林寛子が、1980(昭和55)年4月に結婚したことを受け、「あせるなぁ」ともらしていた北村優子が、所属事務所(新栄プロダクション)取締役のご子息(次男)」と、同年に結婚を発表する。

前から「花嫁」に憧れていた彼女は、雑誌のインタビューでも芸能界に未練がないことを明かし、一人の男性をささえる専業主婦として芸能界を引退した。

すでに録音済みだったのか、翌1981(昭和56)年に公開されたアニメ『海底大戦争 愛の20000マイル(日本テレビ系)』では、ソフィア役として声優出演していた。

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北村優子 - ジェラシー (EP) 1976

「ジェラシー」は、1976年にデビューした女性歌手「北村優子」によって歌われたサード(3枚目の)シングルです。

歌詞の内容はずばり「ジェラシー(嫉妬)」。テニス部設定で片思いの男の子の手に光る指輪が気にかかる「不安な想い」をつづっています。

前作に引き続き、作詞は「元はっぴいえんど」の松本隆と、作詞編曲はキャンディーズで大ヒットした穂口雄右が担当。

「松本隆」さんは、ゆれる女の子の気持ちを男受け路線で書くのが上手いですね。

B面の”ハッスルしないで”は、コミカルな歌詞です。ハッスルという言葉は死語に近いかもしれませんが、日本にディスコブームがきたときの流行語です。

サウンドも、ディスコ歌謡で「押しが強い男性」を何とか食い止めようとする北村優子のはきはきした声が、学校の学級委員に叱られているようで楽しい歌です。

このあと、中村雅俊主演ドラマの『夕日が丘の総理大臣』に生徒役で大抜擢されたのもわかる気がしますね。

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北村優子 – ジェラシーの感想

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北村優子 – ジェラシーの詳細

歌手名 北村優子(きたむらゆうこ)
タイトル ジェラシー
発売日 1976年10月25日
作詞作曲 作詞:松本隆/作曲・編曲:穂口雄右
カップリング曲 ハッスルしないで

北村優子 – ジェラシー の歌詞

北村優子 - ジェラシー の歌詞

歌詞

ジェラシー/北村優子 1976年
作詞:松本隆  作曲:穂口雄右

ジェラシー 色づく木(こ)の葉に
(ジェラシー) 胸が騒ぐのは
ジェラシー 心のすきまに
(ジェラシー) あなたがいるせいよ

テニス・コートで ボール打つ手に
キラリと光る ハートの指輪
それは誰から もらったのでしょう
ささいな事が 気にかかるのよ
フフンと 笑って拗(す)ねてみたり
クスンと 涙をふいてみたり
こんなに 心が揺れているのは
やっぱりあなたを 好きな証拠ね
ジェラシー 素敵な誰かを
(ジェラシー) ひとり占めしたい
ジェラシー 女の子ならば
(ジェラシー) 自然な感情よ

バス・ストップで「あなた さよなら」
公園さえも 素通りにして
半年たって 手も握らない
何か訳でも あるのでしょうか
クルリと 背中を向けてみたり
ムッツリ くちびるとがらせたり
こんなに 心が悩ましいのは
やっぱりあなたを 好きな証拠ね
ジェラシー 素直になれない
(ジェラシー) 私を許して
ジェラシー わがまま言う子は
(ジェラシー) 淋(さみ)しがりやなのよ

北村優子 – ハッスルしないで の歌詞

北村優子 - ハッスルしないで の歌詞

歌詞

ジェラシー/北村優子 1976年
作詞:松本隆  作曲:穂口雄右

ねえ ハッスルしないで 男の子
ねえ ハッスルしないで 男の子

秋だから ロマンチックな街角に
誘われたのよ
暗がりで ふれあう指がふるえてる
気持を告げる 告げる
困るわ 困るわ 息もつかせず
せまる せまる あなたハッスル
こわいわ こわいわ
女の子って ブランコみたいに
揺れて揺れて 動くのよ

ねえ ハッスルしないで 男の子
ねえ ハッスルしないで 男の子
帰るとか 帰らないとか強がって
すねて甘えて
一歩二歩 離れただけで淋しさに
振り向く私 私
あせるわ あせるわ 強い両手で
せまる せまる あなたハッスル
こわいわ こわいわ
女の子って ブランコみたいに
揺れて揺れて 動くのよ

ねえ ハッスルしないで 男の子
ねえ ハッスルしないで 男の子

北村優子の他の作品

北村優子ってどんな歌手?

北村優子ってどんな歌手?

北村優子さんは、本名を熊谷優子さんといい北海道札幌市豊平区(現清田区)の出身です。趣味は詩を書くこと。

1973年、中学校2年生の二学期にオーデション番組『スター誕生!』の札幌大会に応募して優勝、全国大会でもグランドチャンピオンに輝きました。

清田中学校を卒業後は、上京し「堀越高校」に通いながら2年間のレッスンを経て、1976年に”若草のデート”で念願の歌手デビューをはたします。

北村優子

その後、同年7月5日に”ハロー・サンシャイン”、10月5日に”ジェラシー”と立て続けにシングルを発表しましたが、大きなヒットには至りませんでした。

この2作品は、作詞に元はっぴいえんどの松本隆、作曲にキャンディーズの”春一番”で有名な穂口雄右さんが担当しています。

1977年の3月25日に”999粒の涙”をラストシングルに、歌手活動は止まってしまいました。

北村優子

北村優子さんは、もともと中学卒業まで演劇部に入っていたので「歌手」よりも「役者」になりたかったということで、翌年1978年からは中村雅俊主役の学園ドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』、1979年からは『あさひが丘の総理大臣』に生徒役で抜擢され、明るくはちきれんばかりの元気さに茶の間で人気をはくします。

北村優子 グリコ

カンコー学生服や江崎グリコのCM出演をこなしながら、雑誌・グラビアなどにも出演しコンスタントに仕事をこなしていましたが

1980年に「所属事務所(新栄プロダクション)取締役のご子息(次男)」と結婚し、引退。

北村優子の現在

わずか4年間の芸能生活に、当時のファンは驚きを隠せなかったようです。

1976年ごろ、水着をきせられて歌っているのを覚えている。歌唱力は同じ音階のように聞こえて上手じゃなかったけど、それをうわまわる明るさが北村優子にはあったな

日本テレビの青春ドラマにかわいい女子高生で出演してたね。『俺たちの朝』にも1話だけ、ちょい役で出演してるよ。岡田奈々の同級生という設定だった。

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1970年代女性アイドル

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