讃岐裕子 – 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975

讃岐裕子 - 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975

『白い花の下で / 寒い朝に (EP) 』は、日本の女性アイドル歌手「讃岐裕子 」が、1975(昭和50)年11月25日にワーナー・パイオニアから発売したセカンド・シングルEP。同年5月に発売されたデビュー盤”ある晴れた日に”の旅情派ポップスとはうってかわってロシア民謡風のリズムにアグネス・チャンスタイルの歌唱法。作詞:林春生、作曲:三木たかしのコンビによる”白い花の下で”は、「白い花の下で」をキーワードに、些細なことで喧嘩をしてしまったカップルが仲直りの糸口がつかめず、待ちぶせをして思いをはせる女心を「17歳の讃岐裕子」が歌っている。

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讃岐裕子 – 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975の詳細

讃岐裕子 – 白い花の下で

タイトル 白い花の下で / 寒い朝に
歌手名 讃岐裕子
発売日 1975(昭和50)年
ジャンル ポップス
発売国 日本
レーベル Warner Bros.
フォーマット 7インチシングル・2曲入りEP

讃岐裕子 – 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975 の収録曲

  1. 白い花の下で
    作詞:林春生  作曲:三木たかし
  2. 寒い朝に
    作詞:林春生  作曲:三木たかし

讃岐裕子 -白い花の下で / 寒い朝に(EP) 1975について

讃岐裕子 – 寒い朝に

『白い花の下で / 寒い朝に (EP) 』は、日本の女性歌手「讃岐裕子」が17歳のときに、ワーナー・パイオニアから発売したセカンド・シングルEP。1975(昭和50)年は、讃岐裕子の勝負の年で5月に”ある晴れた日に”で、旅情派ポップスをうたって「小柳ルミ子の瀬戸の花嫁」路線かと思いきや、”白い花の下で”はアグネス・チャン風の歌唱が鼻につく歌謡曲となってしまった。讃岐裕子は、やまがたすみこやシモンズのように「高音」がつきぬけるような声質なので、普通の歌謡曲よりもフォークやニューミュージック系の楽曲のほうが相性がよい。

B面”寒い朝に”もA面と同じく、作詞:林春生、作曲:三木たかしが担当。歌詞に「紅茶」がでてくるあたり、次回作の”ハロー・グッバイ(アグネスチャンのカバー)”の布石といえるかも。

讃岐裕子(さぬきゆうこ) – 白い花の下で の歌詞

歌詞

白い花の下で/讃岐裕子 1975年
作詞:林春生  作曲:三木たかし

白い花の下で
待ちぶせしたけれど
何も云わずに立ち止まる
日ぐれの帰り道

喧嘩してる二人
いつも些細なこと
ごめんなさいと
ひとことを 云えばいいのに…

※何故か 特別なのよ
あなたのことになると
もっと 私のそばに
早く もどって欲しい

あなたの答えが
とても知りたくて
白い花の下で
待ちぶせしたの

白い花の下で
待ちぶせしたことは
とてもいけないことかしら
日ぐれの帰り道

歩くたびふれる
細い指の先で
ひと足早く
感じたの 愛のこころを…

※くりかえし

あなたにあずけた
愛がこわれそう
白い花の下で
待ちぶせしたの

讃岐裕子(さぬきゆうこ)- 寒い朝に の歌詞

歌詞

寒い朝に/讃岐裕子 1975年
作詞:林春生  作曲:三木たかし

好きなのに 好きなのに
あなたは遠くに行きました
寒い朝…

二はいめの紅茶 飲みました
二人には 想い出のお店で
もうすぐ出かける 時間です
わたしの事は 大丈夫なの…

眼を閉じた そのすきに
あなたは離れて行くのです
帰ってくるのね
春になったら

閉ざされた部屋に ベルが鳴る
淋しくて 電話をしました
いまごろ あなたは ひとり旅
わたしの手紙 読んだでしょうか

幸せの近道は
あなたを忘れることかしら
帰って来るのね
春になったら…

帰って来るのね
春になったら…

好きなのに 好きなのに
あなたは遠くに行きました
寒い朝…

讃岐裕子 のシングル・レコード(ディスコグラフィ)

讃岐裕子(さぬきゆうこ)の来歴(バイオグラフィ)

讃岐裕子は、1958年(昭和33)年1月9日生まれの東京都世田谷区出身(生まれは神戸)。

のちに活躍する畑中葉子・西崎緑とともに10代のころから「平尾昌晃音楽教室」へ通いながら『ぎんざNOW!(TBS系)』の素人勝ち抜き歌合戦へ出場。準決勝ではベッティ&クリス”白い色は恋人の色”、決勝では小坂明子の”あなた”を歌って、見事優勝し渡辺プロダクションに所属することに。

デビュー時は、東京の明星学園高校3年生。身長:160cm 体重50kg(B 83 W 63 H 85)舌の先を花の形にまとめるという、おもしろい特技があった。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が16歳~17歳の時

讃岐裕子 - ある晴れた日に / 校庭 (EP) 1975
讃岐裕子 – 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975

1975(昭和50)年5月25日、讃岐裕子の”ある晴れた日に”が発売。1972(昭和47)年に小柳ルミ子の”瀬戸の花嫁”、1973(昭和48)年に藍美代子”ミカンの実る頃”をヒットさせた作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃のコンビである”ある晴れた日に”は、日本の古き良き風景が浮かぶような叙情派ポップス。

讃岐裕子 - 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975
讃岐裕子 – 白い花の下で / 寒い朝に (EP) 1975

同年の11月25日には、セカンド・シングル”白い花の下で”をリリース。少女漫画のような歌詞の内容と、アグネス・チャン風の歌い方に前作とは違和感を感じる。作詞は、”雨の御堂筋(1971)”で大ヒットを飛ばした林春生、作曲は黛ジュンの”夕月(1968)”、森山良子の”禁じられた恋(1969)”で名をはせた三木たかしが担当。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が17歳~18歳の時

渡辺プロダクションの「讃岐裕子」は、歌手活動以外にもCMでは『名糖アルファベット・チョコ』で可愛いい声を、『マルコメ味噌』では「味噌づくりの味付けに失敗」してキィー!アッジャー!と全然気にしない明るいキャラクターを演じていた。

ラジオ番組ではアシスタント、『ぎんざNOW』では火曜日に桜金造と近田春夫と一緒に「洋楽コーナー」を2年間担当し、朝日放送の霊感ヤマ感第六感にも出演していた。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が18歳~19歳の時

讃岐裕子 - ハロー・グッバイ / めぐり逢うために (EP) 1977
讃岐裕子 – ハロー・グッバイ / めぐり逢うために (EP) 1977

前2作がヒットに至らず、渡辺プロダクション所属の「讃岐裕子」は2年のブランクを経て、3月25日に”ハロー・グッバイ”で起死回生をねらう。すでに19歳になっていた彼女が歌う”ハロー・グッバイ”は、のちに柏原芳恵で大ヒットする同名のそれである。アイドル界もニューミュージックの台頭で作風が変わってきているころで、ユーミンが作曲した三木聖子の”まちぶせ”タイプの新しい歌謡曲だったが、売れなかった。

讃岐裕子 - シャインの秋 / ルージュの愛 (EP) 1977
讃岐裕子 – シャインの秋 / ルージュの愛 (EP) 1977

同年、讃岐裕子は伊勢半シャインリップ「キス・ミー」のCMに抜擢された。そのイメージソングとして9月25日に発売された4枚目のシングルが”シャインの秋”。”ハロー・グッバイ”発売から6ヵ月しか経っていないが、ぐっと大人っぽくなった彼女が「もう一度あなたにふり向いてほしい」と口紅(リップ)を変えた自分と、変わらない彼への思いを哀愁を帯びたメロディにのせて歌っている。

讃岐裕子 - メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977
讃岐裕子 – メリー・ゴー・ラウンド (LP) 1977

11月25日には、ファン待望となる讃岐裕子のフルアルバム『メリー・ゴー・ラウンド』がリリースされた。「いつも笑顔を忘れずに歩きつづける女の子。その裕子の魅力を充分にいかしたホットでちょっぴりセンチメンタルなアルバム」というキャッチフレーズとともに3枚目のシングル”ハロー・グッバイ”から4枚目の”シャインの秋”のA面B面4曲を含む、全11曲収録。

当時若手でのちに八神順子”みずいろの雨”、松田聖子”青い珊瑚礁”、郷ひろみの”お嫁サンバ”を大ヒットさせる作詞家「三浦徳子」が7曲も手がけていて、大御所からの曲提供からいったん抜け出して「若者たちのためのポップス」がひとつのカラーとなっていて、1980年代アイドル・ミュージックへの布石となっている。

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が20歳~21歳の時

讃岐裕子(さぬきゆうこ)が18歳~19歳の時
讃岐裕子 – 夕映えの帰り道 / 同じ海の前で (EP) 1979

前作シングルから、またも2年近く経った1979(昭和54)年6月25日に誰が知るわけでもなく、そっと「讃岐ゆう子」名義で発売されたのが”夕映えの帰り道”。“モンロー・ウォーク”で注目されていた南佳孝が作曲、ニューミュージック界ですでに大躍進していた松任谷由実が「呉田軽穂」という変名で歌詞を提供。フォーク歌手からシティ・ポップスへと舵をきった「やまがたすみこ」スタイルのシティ・ポップの良作といえるだろう。B面”同じ海の前で”も、同じく、呉田軽穂(松任谷由実の変名)南佳孝のライティングチームの作品で、スローミディアムのシティポップ。

このあと、讃岐ゆう子として「RKBヤング・リクエスト」(月曜日 21:00~22:00)のDJとしてラジオで活躍したあと芸能界を引退した。最近では、平尾昌晃歌謡教室に通っていたころのつながりとして、畑中葉子のラジオにゲスト出演したり、西崎緑と旧友のを仲をあたためている。

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讃岐裕子 - 白い花の下で (EP) 1975

「白い花の下で」は、1975年にデビューした女性歌手「讃岐裕子」が同年11月25日(17歳のとき)に発表した2ndシングルです。

「白い花の下で」をキーワードに、些細なことで喧嘩をしてしまったカップルが仲直りの糸口がつかめず、待ちぶせをして思いをはせる女心を歌っています。

前作の小柳ルミ子・藍美代子路線とはうってかわって、ロシア民謡チックなイントロから、歌いだしはアグネス・チャンス”ひなげしの花(1972)”のような上がり下がりが激しいスタイルで歌っている。

作詞は、”雨の御堂筋(1971)”で大ヒットを飛ばした林春生、作曲は黛ジュンの”夕月(1968)”、森山良子の”禁じられた恋(1969)”で名をはせた三木たかしが担当しています。

讃岐裕子の声質がどちらかというと「やまがたすみこ」タイプの高音がつきぬける感じなので、できれば初期の高木麻早やシモンズのようなフォーク歌謡だともう少しウケがよかったのでは?と感じます。

B面”寒い朝に”も同じ作詞作曲チームで、歌詞に「紅茶」がでてくるあたり、次回作の”ハロー・グッバイ(アグネスチャンのカバー)”の布石といえるかも。

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讃岐裕子 – 白い花の下で の詳細

歌手名 讃岐裕子(さぬきゆうこ)
タイトル 白い花の下で
発売日 1975年11月25日
作詞作曲 作詞:林春生/作曲・編曲:三木たかし
カップリング曲 寒い朝に

讃岐裕子 -白い花の下で の歌詞



歌詞

白い花の下で/讃岐裕子 1975年
作詞:林春生  作曲:三木たかし

白い花の下で
待ちぶせしたけれど
何も云わずに立ち止まる
日ぐれの帰り道

喧嘩してる二人
いつも些細なこと
ごめんなさいと
ひとことを 云えばいいのに…

※何故か 特別なのよ
あなたのことになると
もっと 私のそばに
早く もどって欲しい

あなたの答えが
とても知りたくて
白い花の下で
待ちぶせしたの

白い花の下で
待ちぶせしたことは
とてもいけないことかしら
日ぐれの帰り道

歩くたびふれる
細い指の先で
ひと足早く
感じたの 愛のこころを…

※くりかえし

あなたにあずけた
愛がこわれそう
白い花の下で
待ちぶせしたの

讃岐裕子 – 寒い朝に の歌詞


歌詞

校庭/讃岐裕子 1975年
作詞:林春生  作曲:三木たかし

好きなのに 好きなのに
あなたは遠くに行きました
寒い朝…

二はいめの紅茶 飲みました
二人には 想い出のお店で
もうすぐ出かける 時間です
わたしの事は 大丈夫なの…

眼を閉じた そのすきに
あなたは離れて行くのです
帰ってくるのね
春になったら

閉ざされた部屋に ベルが鳴る
淋しくて 電話をしました
いまごろ あなたは ひとり旅
わたしの手紙 読んだでしょうか

幸せの近道は
あなたを忘れることかしら
帰って来るのね
春になったら…

帰って来るのね
春になったら…

好きなのに 好きなのに
あなたは遠くに行きました
寒い朝…

当時、近くのデパートで「シャインの秋」のイベントがあり、その場で『メリー・ゴー・ラウンド』のレコードを買って、サインしてもらいました。イベントのTシャツももらいましたよ。”ミッド・ナイト・レインボー”と””ルージュの愛”がテンポが良いので大好きです。

ユーミンから楽曲をもらった”夕映えの帰り道”が大好きですが、アルバムには入っていないですね。当時は『メリー・ゴー・ラウンド』は、擦り切れるほど聴きました。讃岐裕子さんがテクニクス横浜のコーナーに出演すると聞いて、すぐ横浜三越に向かったのも良い思い出です。

CMに出演していたときの讃岐裕子さんが、好きでした。個人的には”ひとりぼっちのあなたに”を切なく歌う彼女がお気に入りです。

讃岐裕子の「かわいらしい顔」がタイプです。さすがプロのアイドルで、顔だけでなく甘えるような澄んだ歌声と、キーの高さを初めて聴いたときは驚きでした。当時18歳でしたが、彼女の音楽を聴けば、いつでもあの頃に戻れます。素晴らしい歌手が日本にいたことをもっと知ってもらいたいです。

讃岐裕子さんは、どういう歌手?

讃岐裕子さんは、どういう歌手?

1958年(昭和33年)1月9日生まれ 渡辺プロダクション所属。

神戸生まれの東京都世田谷区出身「讃岐裕子」は、平尾昌晃歌謡教室へ通いながらバラエティ番組『ぎんざNOW!』(TBS系夕方5時~)の素人勝ち抜き歌合戦のような番組で、次々と勝ち抜き準決勝はベッティ&クリス”白い色は恋人の色”、決勝は小坂明子の”あなた”を歌い優勝しました。

それをきっかけに、渡辺プロダクションにスカウトされた「讃岐裕子」は、1975年5月25日に”ある晴れた日に”で歌手デビューを果たします。

“瀬戸の花嫁””ミカンが実る頃”でヒットを飛ばしていた作詞:山上路夫 、作曲:平尾昌晃のチームが作った楽曲で、当時17歳だったかわいらしい「讃岐裕子」がしっとりと歌っています。

同じ年の1975年11月25日に、2ndシングル”白い花の下で”を発売するもヒットせず。

少し波に乗り出したのが、1977年でデビューして2年後の19歳のころ。のちに柏原よしえがカバーして大ヒットした”ハロー・グッバイ”を3rdシングルとして発売しNHK『レッツゴーヤング』など歌番組にも出演しました。

CMでは名糖アルファベット・チョコで可愛いい声を、マルコメ味噌では「味噌づくりの味付けに失敗」してキィー!アッジャー!と全然気にしない明るいキャラクターを演じていました。

ラジオ番組ではアシスタント、『ぎんざNOW』では火曜日に桜金造と近田春夫と一緒に「洋楽コーナー」を担当し、朝日放送の霊感ヤマ感第六感にも出演していました。

キスミー・シャインリップ

同年、さらに事務所は伊勢半とタイアップして光る口紅「キスミー・シャインリップ」に讃岐裕子を起用して、紙面と4thシングル”シャインの秋”とフルアルバムLP『メリー・ゴー・ラウンド』をリリースしました。

讃岐裕子

銀座の日立Lo-D(ローディ)プラザでライブ活動をしたりと活発でしたが、大ヒットにはつながらず、さらに2年後の1979年にはラストシングル”夕映えの帰り道”を、讃岐ゆう子名義に改名して発売後、芸能界を引退しました。

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1970年代女性アイドル

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