アニエス・ロティ(Agnès Loti) – C’est Toi Mon Idole (EP) 1964

アニエス・ロティ(Agnès Loti) - C'est Toi Mon Idole (EP) 1964

『C’est Toi Mon Idole (EP) 』は、フランスの女性歌手「アニエス・ロティ(Agnès Loti) 」が、Azレコードのオーデションに合格し、1964(昭和39)年に発表した4曲入りEP。同年に大ヒットを飛ばしていたジャマイカ出身の黒人女性歌手ミリー・スモールの”My boy lollipop”をフランス語でカバーした”C’est Toi Mon Idole”は、フランス・ギャルのように陽気でコケティッシュに歌うアニエス・ロティの魅力が十二分に発揮されている。

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アニエス・ロティ(Agnès Loti) – C’est Toi Mon Idole (EP) 1964の詳細

Agnès Loti – C’est Toi Mon Idole

タイトル C’est Toi Mon Idole / Je Pars Sans Regret / Tu / Mais Peut-être
歌手名 アニエス・ロティ(Agnès Loti)
発売日 1964(昭和39)年
ジャンル ポップス
発売国 フランス
レーベル Disc’Az
フォーマット 7インチシングル・4曲入りEP

アニエス・ロティ(Agnès Loti) – C’est Toi Mon Idole (EP) 1964 の収録曲

  1. C’est Toi Mon Idole
    訳詞:Franck Gérald 作詞・作曲: Johnny Roberts, Robert Spencer
  2. Je Pars Sans Regret
    訳詞:Daniel Hortis 作詞・作曲:Jackie DeShannon, Shari Sheeley
  3. Tu
    作詞:Daniel Hortis 作曲:Gerard Davaisne
  4. Mais Peut-être
    作詞:Daniel Hortis 作曲:Gerard Davaisne

アニエス・ロティ(Agnès Loti) – C’est Toi Mon Idole (EP) 1964について

Agnès Loti – Je Pars Sans Regret

『C’est Toi Mon Idole (EP) 』は、アニエス・ロティが19歳~20歳のときに、AZレコードから発売した記念すべき4曲入りEP。日本のカバーポップス時期の同じ1960年代初頭は、フランス語で欧米のヒット曲をカバーする風習があり”C’est Toi Mon Idole”も、ミリー・スモールの”My boy lollipop”をフランス語でカバーしたものだが、見事イエイエとしてフランス・ギャルスタイルで陽気に歌いこなしている。”Je Pars Sans Regret”は、アメリカの女性歌手ジャッキー・デシャノン作でアーマ・トーマスが歌った”Breakaway”のフランス語カバー。

アニエス・ロティ(Agnès Loti) のシングル・レコード(ディスコグラフィ)

アニエス・ロティ(Agnès Loti)の来歴(バイオグラフィ)

アニエス・ロティ(Agnès Loti)は1944(昭和19)年、パリのフランソワ・ペロッティ(Françoise Perotti)に生まれる。

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が15歳~16歳の時

彼女は、幼い頃から音楽が好きで、9歳の時にアコーディオンを習いはじめ、1960(昭和35)年、当時15歳であった彼女はフランキー・ジョーダン(Frankie Jordan)のバックボーカルグループである『ザ・ジョーダネッツ(the Jordanettes)」』へ参加する。

フランキー・ジョーダンはイエイエファンの女性たちの間では、シルヴィ・バルタン(Sylvie Vartan)とコラボした“Panne d’essence”でよく知られているだろう。しばらくした後、アニエス・ロティは新たにソロとしてキャバレーでパフォーマンスを開始する。

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が19歳~20歳の時

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が19歳~20歳の時

1964(昭和39)年にDisc’Azレコードのオーディションに合格した「アニエス・ロティ」は、最初のレコード収録のためスタジオへ入った。4曲入りのEPが当時は一般的で、アニエス・ロティは、ジャマイカ出身の女性歌手「ミリー・スモール」が同年大ヒットさせていた“My boy lollipop”をフランス語でカバーして“C’est toi mon idole”と改題してリリース。

この曲の中で彼女はボーイフレンドに「私はあなたに夢中で、あなたはジョニー・アリデイ(Johnny Hallyday)やリチャード・アンソニー(Richard Anthony)よりも私の心臓をドキドキさせるの」と歌っている。

しかし、多くのファンにとっては、他の3曲こそ真に注目すべき作品と言える。

アーマ・トーマス(Irma Thomas)の“Break-a-way”のカバー“Je pars sans regrets”と二曲のオリジナル“Tu”“Mais peut-être”である。このレコードはラジオで多く流されヒットとなり、彼女の最も有名なリリースとなっている。

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が19歳~20歳の時

次の曲も、ヒットにならって再びミリー・スモールの“Don’t you know”をカバーし、“Tout nouveau, tout beau”としたが、選択ミスからかヒットは長く続かなかった。

このEPは、バリー・マン(Barry Mann)とシンシア・ウェイル(Cynthia Weil)作曲、イーディ・ゴーメ(Eydie Gormé)の“I want you to meet my baby”のカバーである“Aïe n’y touchez pas”と、リタ・パヴォーネ(Rita Pavone)の“Just once more”のカバーである“Reste encore”が収録され貴重。

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が20歳~21歳の時

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が20歳~21歳の時

1965(昭和40)年に発売されたアニエス・ロスの3枚目のEP『Aujourd’hui c’est ta fête』で、彼女が再びトップ・チャートに戻れるかどうか、世間の注目を集めた。

リードトラックは元々イギリスのトゥインクル(Twinkle)によりレコーディングされた“I need your hand in mine”のカバー曲である。

アニー・フィリップ(Annie Philippe)、フランス・ギャル(France Gall)、リズ・ブラディ(Liz Brady)らのために曲を書いていたジョージ・ライフマン(Georges Liferman)もまた、オリジナル曲を提供するため仲間入りした。

ジョージ・ライフマンの曲“Dis-lui que c’est terminé”は、イギリス海峡両サイドでヒットしていたクリス・アンドリュー(Chris Andrews)の“Yesterday man”の影響が大きかった。

この詞の中でのアニエスは冷酷で、ボーイフレンドに、浮気相手にもう関係は終わったと伝えて、と頼んでいる。

「彼女に親しみを持つのは素敵なこととは言えない」「むしろ彼女が地獄へ落ちるのが見たい」とアニエスは歌っている。

このレコードが失敗に終わり、アニエス・ロティは契約を失った。

アニエス・ロティ(Agnès Loti)が22歳の時~現在

1967(昭和42)年にイタリアへ移り、結婚した。

彼女はそこでレストランを開いたと言われている。最近では、地元の高校でフランス語を教えていたようだ。

もっとも、すでにリタイヤしてはいるが…彼女がスクリーンに姿を見せたのは、1985年のフランスのテレビ番組『La chance

aux chansons』で“Tout nouveau, tout beau”のパフォーマンスが最後である。

参照元:Ready Steady Girls

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